仙台高等裁判所 昭和30年(う)904号 判決
記録によれば、検察官は、原審第四回公判において、「被告人が本件選挙に関し法定費用二一万円を上廻る多額の金員を準備した事実のあること、従つて、被告人は当初から買収の意思を有していたもので、その意思がなかつたとの被告人の原審公廷における供述は措信し得ない」ことを立証する証拠として、刑事訴訟法三二八条に基き田中静一、蛯名義定、斎藤文公、野田保及び佐藤藤吉等の検察官に対する各供述調書の取調を請求したところ、原審は右請求を却下し、これに対し検察官が異議を申し立てたが、原審は右申立をも却下したことが明らかである。論旨は、原審の右措置は違法であると主張する。しかし、特定の者の公判準備又は公判期日における供述と相容れない要証事実を立証するため、他の証拠を刑事訴訟法三二八条により提出することは、その窮極の趣旨が右供述の証明力を滅殺するにある場合であつても、許されないものといわなければならない。のみならず、同条の規定により公判準備又は公判期日における被告人、証人その他の者の供述の証明力を争うために用いることのできる証拠は、現に証明力を争おうとする供述をした者の従前の供述を記載した書面又は供述(以下供述と称する)に限るものと解する。即ち、同条は、公判準備又は公判期日においてある供述をした者が、さきに同一事項に関し異つた供述をしたということを明らかにすることを許容したに過ぎない。この場合、前の供述が真実であるとの主張を許すものではなく、前後いずれの供述が真実であるかは別として、ただ同一人が同一事項に関し前後矛盾の供述をしているということを明らかにすることによつて、公判準備又は公判期日におけるその者の供述が真実であるとの心証形成を一応妨げ得れば足るものとされるのである。従つて、同条は、以上の趣旨に解される以上、伝聞法則の例外として許容される場合を定めたものではなく、理論上伝聞法則の適用がない場合を注意的に規定したものに外ならない、といい得る。もつとも、規定の表面上の文意のみからすれば、すべての伝聞証拠は、被告人、証人その他の者の公判準備又は公判期日における供述の証明力を争うためにこれを証拠とすることができるとの解釈を容れる余地もないではない。しかし、かかる解釈を許すことは、刑事訴訟法の定める伝聞証拠禁止の根本精神に戻るものといわなければならない。何故ならば、例えば、甲の公判期日における供述の証明力を争うための証拠として、乙の公判期日外の供述が許容されるものとすれば、甲の供述の証明力を滅殺するためには、これと対比し乙の供述がまず措信されることを要し、かくては、乙の供述にかかる事実が要証事実に関する場合には、伝聞証拠によつて要証事実の存否につき心証を形成する結果となるからである。現に、論旨も、「被告人は原審公判廷において本件公訴事実全部を否認しているが、捜査の結果作成した多数の参考人調書によると、被告人は立候補の公示以前から、選挙運動の期間を通じ更に該期間終了後に至るまで、選挙運動資金を調達したことが明らかだから、被告人の右主張の証明力を争うために、右参考人調書を刑事訴訟法三二八条によつて提出せんとしたものである」と主張しているのであるが、もし、所論の如きことが許容されるとすれば、被告人が公訴事実を争つている事案においては、各参考人調書は、公訴事実に添う趣旨のものである限り、刑事訴訟法三二八条により無制限に証拠調をなし得ることとなるのであつて、その結果の不当なことは極めて明白である。以上と結論を異にする論旨の採る見解には賛同することができない。されば、検察官が前記田中静一外四名の各供述調書を刑事訴訟法三二八条の証拠として請求したのは、それによつてまず第一次的に要証事実を立証しようとした点において、次に、他の者の公判期日における供述の証明力を滅殺しようとした点において違法であるといわなければならないから、原審が右請求を却下したのは正当である。論旨は理由がない。
検察官の控訴趣意第一について、
論旨は、原判決が被告人に対し選挙権及び被選挙権停止の規定を適用しない旨の宣告をしたのは失当であるというにある。記録によれば、被告人がその性誠実公平で農業及び農政についての識見が高く、或は三本木渋沢農場長として、或は三本木町長として残した業蹟に見るべきもののあることは、原判決の説示するとおりであつて、当裁判所としても量刑上これらの点を斟酌するに吝かではない。しかし、右の如き事情は被告人に対し刑の執行を猶予すべき情状としては洵に妥当するが、被告人に対し選挙権及び被選挙権不停止の宣告をなすべき情状を論ずる場合には、更に別箇の観点からも考察されなければならない。いうまでもなく、公職選挙法の主たる目的は、選挙が公明且つ適正に行われることを確保することにあり、同法が一定の選挙犯罪を犯した者に対し選挙権及び被選挙権を原則として停止すべき旨を定めたのは、右の如き犯罪により選挙の公明且つ適正な執行を害した者に選挙権及び被選挙権を行使させることが同法の目的に照し不適当であるとの考慮に基くものである。かかる観点に立つて、原判決が被告人に対し選挙権及び被選挙権不停止の宣告をしたことの当否を検討するに、本件において被告人が佐藤、野田の両名に交付した買収資金は一〇〇、〇〇〇円であつて、その額が著しく多額であるとは必ずしもいい得ないとしても、記録によれば、右金員の大部分が右両名から更に下部の選挙運動者を通じて選挙人に流され、選挙の公明且つ適正の根本精神がふみにじられるに至つたことが明らかである。のみならず、本件市長選挙の法定費用は二一万円であるのに、被告人は右法定費用の外更に被告人の認める分だけでも本件の一〇〇、〇〇〇円を除き約一四〇〇、〇〇〇円に上る多額の盗金を、その大部分が結局買収費用に向けられるに至るべきことを認識しながら不法に支出していることが窺われる。その費途の明細は本件記録では明らかでなく。又、右不法支出の点については公訴の提起はないのであるが、本件の情状としてはこの点を看過することができない。以上の外記録に顕われた諸般の情状を彼此綜合し、なお、本件に連座した佐藤、野田等がいずれも選挙権及び被選挙権不停止の恩典に浴さなかつた点をも併せ稽えるときは、原判決が被告人に対し右不停止の宣告をしたのは失当と認められる。
論旨は理由がある。
よつて、被告人の控訴は理由がないので刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却し、検察官の控訴は理由があるので同法三九七条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所は更に次のとおり判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、三本木農業協同組合の組合長理事であつて、昭和三〇年三月二〇日施行の三本木市長選挙に際し同月五日立候補の届出をした者であるが、同月一三日、肩書住居において、被告人のため選挙運動に従事していた佐藤藤吉、野田保の両名の申出により、同人等をして選挙人又は選挙運動者に被告人のため投票又は投票取まとめの選挙運動をすることの報酬又は資金として金品を供与させる趣旨の下に金一〇〇、〇〇〇円を手交する意思をもつて、右組合会計主任宛に被告人の同組合に対する預金より右額の金員を払い戻し佐藤藤吉に交付せられたい旨の文言を認め認印した被告人の名刺一枚を同人に渡し、同人をして、同日、右名刺を同市大字三本木字稲生町一三〇番地同組合事務所に持参した上、同組合会計係事務員福沢絹子にこれを呈示し、同女より右文面に従い被告人の預金より金一〇〇、〇〇〇円の払戻を受けてこれを受け取らせ、以て佐藤、野田の両名に対し右金員を交付したものである。
(裁判長裁判官 鈴木禎次郎 裁判官 斎藤勝雄 裁判官 有路不二男)